亡き人に
雀の鳴き声でスザクは目が覚めた。 窓を叩く音はない。 困ったお姫様はかつて「こっそり皇宮を抜け出して、あなたの部屋の窓を叩いてみたいわ」と小さな願いを語ってくれた。 スザクの耳に聞こえるのは雀の鳴き声だけだった。 まだ起きるには早い夜明けだったが、スザクは白のシーツを撥ねて窓を開けた。 外は仄暗く朝日を予感させる。 凪いだ朝風が冷たく頬に触れる。 肺を朝の空気で満たす。 腹の中から冷えていく感覚。 寝起きの靄がかった頭が徐々にはっきりとし始め、目が覚める。 スザクは彼女がいないことを思い出す。 庭にはグロキシニアが咲いていた。 その花の名前を教えてくれたのも彼女だった。 淡い紅の八重の花弁が薄暗い庭先でも一際鮮やかに花開かせていた。 連日泊り込みで仕事をしていたスザクはこの花がいつ咲いたのか知らなかった。 グロキシニアの開花は鮮やか過ぎる庭の変化。 それでもなんの違和感もなくその花は庭の中央で堂々と重い花弁を開いている。 それはまるで彼女のように。 彼女の存在は、スザクには違和感であるはずだった。 遠すぎ、違いすぎ、触れず不可知で忠誠を捧げるだけの存在のはずだった。 それが今、こんなにも彼女を近く感じる。 誰よりも彼女が、スザクの心臓の近くにいる。 美しい花。 美しい朝。 愛しい人。 例えばこういう瞬間。 何もかもが美しくて、いなくなったはずのユフィを身近に感じる一瞬。 今やろうとしていることが、このグロキシニアを前にしていると酷く詰まらないことのように思える瞬間。 それらはスザクに一切を忘れさせるのだ。 あまりにも近く感じすぎて。 あまりにも鮮やかに蘇るせいで。 時々忘れてしまうのだ。 彼女はもう死んでしまったことを。 (今君はそこにいるのかな) 悲しいぐらい彼女を近くに感じるとき、愛されたのだとスザクは思い知る。 与えられたものに値するほど応えられていたのか彼に確かめる術はないけれど、 亡き人はそんなことはおかまいなしに今でも彼を抱き締める。 それは何度目かの永訣の朝。
(2008/05/22)
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